上杉謙信

その時歴史が動いた「謙信恐るべし」より・・・
戦乱の世に生まれ命の危機にさらされていた謙信は
幼い時から寺に預けられ仏教の教えに触れて育つ。

生涯殆ど負けたことのない[いくさ]の天才、謙信は悩む。
もう殺生はしたくない。
彼は仏を守護する四天王、毘沙門天に自らを重ね。
私欲を捨て正義のために戦う決意をする。
室町幕府の関東管領として、
使命を全うすべく関東で戦う謙信。

その隙をついて急速に勢力を広げたのが織田信長です。
軍事力、経済力では謙信にかなわない事を知る信長は
謙信を褒めちぎり、贈り物を重ねる事で、
矛先をかわしつつ領土を拡大します。

しかし信長は新兵器鉄砲の威力に自信を深めると室町幕府を滅ぼし、
さらに越中にいる謙信の重臣に離反を促します。

信長の姑息な行動を知るや、謙信は怒りを爆発させます。
信頼を裏切り、私欲を貪る信長を今こそ討たなければならない。

決戦の地は加賀 手取川、謙信は信長自慢の鉄砲隊を封じる作戦を立て
4万の織田軍に怒涛の攻撃をかけ圧勝するのです。

いくさの後、謙信はこう語ったと記録されています。
「戦ってみると信長は案外弱い」
今も手取川の岸にはこの戦いの歌碑が残されています。
「上杉に逢ふては 織田も手取川 はねる謙信 逃ぐる信長」

前戦にいなかった信長はからくも難を逃れたが、
もはや絶対絶命の危機に立たされる。
越後には6万の兵が動員され
信長を討つべく、まさに上洛せんとしていたその時。
越後春日山城のかわやにて謙信倒れる。
その後意識が戻らず。原因は状況から脳卒中と考えられています。

謙信の死により6万の兵の上洛作戦は中止され、
反織田包囲網も謙信という求心力を失って崩壊していきました。

喰うか喰われるかの戦国時代に私欲を捨て義理を通した上杉謙信。
その生き方は16条の家訓として今も伝えられています。

1 心に物なき時は、心広く体泰なり

2 心に我侭なき時は、愛敬失はず

3 心に慾なき時は、義理を行ふ

4 心に私なき時は、疑ふことなし

5 心に驕なき時は、人を敬ふ

6 心に誤なき時は、人を畏れず

7 心に邪見なき時は、人を育つる

8 心に貪なき時は、人に諂ふことなし

9 心に怒なき時は、言葉和らかなり

10 心に堪忍ある時は、事を調ふ

11 心に曇なき時は、心静なり

12 心に勇ある時は、悔むことなし

13 心賤しからざる時は、願い好まず

14 心に孝行ある時は、忠節厚し

15 心に自慢なき時は、人の善を知り

16 心に迷なき時は、人を咎めず

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