大奥 華にも意地あり

今回のアンコールNHKその時歴史が動いたは
政略結婚のため薩摩藩から13代将軍家定へ嫁いだ篤姫(あつひめ)
同じく政略結婚で朝廷から14代将軍家茂(いえもち)へ嫁いだ孝明天皇の妹
和宮(かずのみや)の人間としての意地とプライドを貫いた二人の生涯でした

篤姫は僅か1年半の結婚生活で夫、家定が病死
掟により生涯大奥に残り家定の菩提を弔います
そして23歳で髪を落とし天璋院(てんしょういん)を名乗りました

ペリー来航により権威を失墜しつつあった幕府は
朝廷と結びつく事によって立て直そうとします
そして14代将軍の正室に孝明天皇の妹、和宮を迎えます

和宮は当時嫁ぎ先が決まっていましたが公家、岩倉具視の
強い後押しで徳川家に嫁ぎました
天璋院篤姫は同じ境遇の和宮を心から支えようとします

しかし幕府は開国を迫られ朝廷との約束、鎖国を守る事が出来ず
朝廷との関係は険悪となり幕府と薩摩の間に争いが起きます

薩摩に倒幕の密勅を出したのは公家、岩倉具視でした
薩摩倒幕軍は3手に別れ江戸城を目指します

薩摩の総大将は西郷隆盛です
篤姫は江戸城に残り西郷隆盛に書状を送りました
どうしても攻撃するなら私を殺す覚悟で来なさい

かつて藩主の娘だった篤姫の言葉に
西郷隆盛は心を動かされました
そして幕府側の勝海舟と話し合いが持たれ
江戸城は攻撃されず無血開城となり徳川幕府は終わりを告げました

和宮は京に戻されましたが32才という若さで病死します
徳川家の女として葬って欲しいという彼女の遺言で
東京港区にある増上寺の徳川家墓所に埋葬されました

天璋院篤姫は東京に残り取り巻きの女中たちの
再就職や縁談に最後まで尽力します
財力も無く困っている天璋院に薩摩島津家は援助を申し出ます
しかし天璋院は「私は徳川の人間だからと」きっぱりと断りました
天璋院は48才で亡くなりましたがその時の所持金は
3円(現在の6万位らしい)だったといいます

天璋院は生涯たった1度旅に出ました
そこは和宮が病気療養に来て終焉を向かえた箱根、塔ノ沢温泉です

その時の天璋院の日記には記されています

「塔ノ沢で和宮が亡くなった建物を見た
胸がふさがり
懐旧の涙が袖をしぼるほどあふれるのを
私は抑えることができなかった」


そして旅の終わりに天璋院篤姫は
掛け替えのない戦友、和宮に和歌を捧げました

君が齢(よわい)
とどめかねたる早川の
水の流れも
うらめしきかな


天璋院

NHKその時歴史が動いたより



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この記事へのコメント

mikomai
2008年02月15日 18:42
素晴らしい女性たちに、素晴らしいダイジェスト版解説でした☆リンクの場所を一番下にしていただけますと、さらにありがたいのですが・・・。よろしく、お願いいたします。(^-^)
りょう
2008年02月15日 19:31
いつも心遣いありがとうございます
和宮は自分の意に反して嫁がされましたが
将軍家茂に本当に恋をしたと言われています
自分は徳川の人間だからと・・・
政略結婚に翻弄されながらも
意地とプライドを貫いた二人には感動しますね
mikomai
2008年02月17日 17:42
こんにちは♪
仰るとおりだと、思いますね♪^^この記事は薩摩に関する記事ですので、お手数ですが「すてがまり」の記事にトラックバックしていただくとありがたいです☆よろしく、お願いいたします。(∩_∩)
りょう
2008年02月17日 19:52
ありがたくトラックバックさせて頂きました
ありがとうございました
2008年04月02日 18:05
こんにちは♪
りょうさん、元気を出しましょう!退職して少し燃え尽き症候群になっているようですね。まだまだ、これからですよ~♪エールとして、この記事に「すてがまり」を往復トラバいたしますね☆
りょう
2008年04月02日 18:42
いつも心遣いありがとうございます
転職・・・結構ストレスなんですね
まだ肘が上がりませんが気持ちは
何とか落ち着いてきました
ありがとうございました

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  • 薩摩のすてがまり

    Excerpt: すてがまりとは、関ヶ原の合戦で薩摩の島津勢が用いた戦法です。ちょうどNHKの大河ドラマが「篤姫」なので、時宜にもかなっているようですので・・・。 Weblog: OUTDOOR+ racked: 2008-04-02 18:07